さよならテリー・ザ・キッド

おとなをからかっちゃいけないよ

倉科遼先生

ダ・ヴィンチ』2006年12月号(メディアファクトリー)の「呉智英の『マンガ狂につける薬・第143回」より。

今回のある原作家のブームは、それ以上である。見る雑誌、見る雑誌どころか、見るページ、見るページである。老舗「漫画サンデー」など、今年上半期にはこの一誌に三本も並行連載され、まるで個人誌状態であった。この原作家は、毎月40本近い原作を書いている。
(中略)
ところが、この超人気作家、知名度がきわめて低い。評論家が論じたりすることもない。それはちょっとまずくないか、ということを最初に言ったのは、昨年末の「このマンガを読め!」(フリースタイル)の年末回顧座談会での私である。その後、この夏、なんと朝日新聞の日曜版が3週に亘って連続インタビューを掲載したが、ほとんど話題にならなかった。

コピペ元は 活字中毒R。さん。

この引用文は、このあとに「ここまで読んできた読者よ、この原作家が誰だかおわかりだろうか」と続くのですけど、僕はこれ読んでて「間違いなく倉科遼先生だ!」とピンと来たんですよ。まあ、最近まで無職だった時に、『女帝』を全巻読破し、そのあと『嬢王』とか『いつか勝ち組!』とかむさぼり読んだっていうだけなんですけど。なんだこのタイミング。いま『女帝』の続編の『女帝花舞』読んでます。あと20巻以上ある。
確かに、wikipediaに「近年はあまりに多作なため、「倉科 遼」という原作者は自身が経営する編集プロダクションの共同ペンネームではないかという説がある」と書いてあるほどの異常な量を書いてるし、映画化(女帝)やドラマ化(嬢王・夜王)もされてるのに知名度なさすぎ。ネットで話題にのぼったの見たことないし、有名人が「私の一冊」みたいのに選ぶこともない。子供が懐かしがることもない。スターダストボーイズかよ、ってなぐらいに黙殺されすぎ。
倉科作品はハズレがないのが良いですよ。ていうか僕は勝手に「水商売モノにハズレなし」ぐらいのことを思ってたんですが、いいと思ってたのはたいがい倉科作品だった。倉科作品じゃない水商売モノって『ギラギラ』(土田世紀)ぐらいだった。あとドラマだけど『黒い太陽』は死ぬほどおもしろかったですよね。これも倉科先生じゃないけど。

水商売モノは何がいいかって、まず職業モノっていう要素だけできちんと書けばおもしろくなりそうだし、実力でどんどんのし上がる感じがサクセスものだし、女同士の嫉妬でドロドロだし、ヤクザや政治家が絡んでくるしで、まあ、そりゃあネタ切れにはならないよなーと思う。
おもしろさの質としては、「ずっと家に置いておきたい名作」というよりは、「漫画喫茶で読むものがなくて困ったらとりあえず読む」という感じの接し方が良いと思います。数だけはたくさんあるし。でも続きが気になるから漫画喫茶に通うことになるぜ。(体験談)
あと漫画オタクを相手にしていないせいか、展開が異常に分かりやすくて早いのがいい。
例えば『女帝』で、主人公・彩香が道で苦しんでるおばあちゃんを助けたら、それがヤクザの組長のお母さんで、それが縁で組長が味方についたりするんだぜ。あと超ネタバレですけど、「実は総理の隠し子だった」とかそういう展開ばっかりなんだよ。マジでマジで。
ところどころに
「この女性との出会いが彩香にとって大事なものだということを、このとき彩香は知るはずもなかった・・・」
「この夜のささいな出来事が彩香の運命を左右しようとは、このとき分かるはずもなかった・・・」
みたいな定型ナレーションが多用される感じとか、めちゃめちゃパロディ作りやすいと思う。

あと最近『銭夜叉』っていうかっこいいタイトルの倉科作品がコンビニにあったので立ち読みしたんだけど、

  • 主人公が処女のまま水商売に入って、でも「処女を捨てるなら醜い相手がいい。なぜならそのあとどんな相手でも平気になるから」という理由でブサイクな老人を相手に破瓜
  • 最初の彼氏的存在に「俺はお前の体を抱かない!心を抱く!」って言われる

という展開が『女帝』そのままでびっくりした。けっこう大事っぽいエピソードなのに代表作の使いまわしって!あと『女帝花舞』は彩香の娘が主人公なんだけど、序盤を読んだだけで展開が前作と似てきて困った。高校時代の彼氏にペッティングまでしか許さないところとか、その彼氏がずっと追ってくるのとかも同じ。

そんな感じでベタな展開を延々とループさせる漫画を数十年描いてるのに、パロディが広まってないというのは地力がしっかりしているからであろう。倉科先生のことは「ちゃんと実力のある刃森尊」と呼んでいきたい。