さよならテリー・ザ・キッド

おとなをからかっちゃいけないよ

俺たち文化系プロレス DDT

俺たち文化系プロレス DDT

俺たち文化系プロレス DDT

全方位型エンタテインメントとして蘇る、新しいプロレスの指南書!!
「はっきり言ってしまうと、俺よりも強く、身体能力に優れ、スター性のある選手はいくらでもいる。そんな俺がなぜDDTという団体を率いながら、ここまでやってこられたのか? それは俺が、この体育会的な考え方が根強いプロレス界において、常に文化系的な発想を武器にしてきたからである」――「まえがき」より
★話題の実験的プロレス興行「マッスル」主宰・マッスル坂井との師弟対談も収録!!

高木三四郎は自分が働いているDDTテックの上の会社の社長なので、社長の本の感想なんてあんまり書きたくないんだけども(読んでる人からすれば宣伝にしか見えないだろうから)、読みやすさもあってイッキ読みするほど面白かったので書かせていただきます。

まず最初に思った感想が「いい意味でまともすぎる」ということ。普通はプロレスラーの著書といえば、吉田豪さんの書評の格好のエジキになったりする感じの浮世離れしたエピソードが満載で、そのレスラーのファンですら「スターになるには普通じゃだめだよね…」と無理やりフォローしてしまったりするんだけども、この本は良い意味でツッコミ所がなさすぎるのがびっくりした。
プロレスラーの自伝にありがちな、若い頃のケンカの武勇伝とか、部活でこんなシゴキに耐えたぜ的な話もなく、学生時代のエピソードとして出てくるのも「イベントサークルを結成→そしてイベント屋として成功」というもの。読みながら「え、まだプロレスやりそうにないけど大丈夫なの…?」って思ってしまう。「学生時代にクラブイベントで2000人集めた」とか「飯島愛と組んでイベントを仕掛けたら新聞の一面になった」みたいな話が載ってるプロレスラーの自伝なんてこの本だけ!しかもそのイベント屋のくだりとかも別に要らない話じゃなくて、いろいろ後半に繋がってくるからね。

変な話、高木三四郎はドキュメント番組が作りやすいレスラーではないか思う。それもプロレスファン向けじゃなくて、「こんなにプロレスラーっぽくないプロレスラーがいますよ」っていう一般向けのネタには困らなそうだから。
この本の目次だけ読んでも、「テレビ番組研究会」「イベント屋稼業」「参院選出馬」「コギャル作戦」「ヴェルファーレで披露宴プロレス」「2ちゃんねるミクシィ」など、これが本当にプロレスラーの自伝なのか?というタイトルばっかり出てくる。
そしてトラブルに見舞われまくりながらもいろんな要素が絡み合ってなんとかなっていく高木三四郎の半生は、単純にサクセスものとして十分に楽しめる。トラブルの原因が古いプロレス界独特の杜撰さだったりするんだけど、それを「文化系の能力=プロレスラーっぽくなさ」で乗り切るという、その「駄目な世界を変えていっている」感も痛快。いつかマジで情熱大陸とかで取り上げられれば面白そうなんだけどな。

DDTが実験を繰り返しながら段階を踏みつつエンターテイメントプロレスになっていく様子だとか、ひと昔前のインディー事情だとかも書いてるので、プロレスファンが見ても十分におもしろいんだけど、この自伝は普段プロレスを見ない人にこそ読んで欲しい。そして「この自伝はおもしろかったけど、じゃあこんな本を書く社長がいる団体はどんなのなんだ?」ってDDTに興味を持ってくれれば最高。

自伝の中の「完全無欠でないヒーロー」という項に、「新日本プロレスの棚橋選手はルックスも申し分ないし試合も巧いんだけど、スーパースターとして見られていない。しかし大家健 のような、女性問題で失踪したり12歳の女の子に本気で恋をしてそれを他のレスラーに写真に撮られてブログにさらされるようなダメ男にもヒーローになるチャンスはある。だから大家健を男にするために火の輪くぐりをさせてその様子をYouTubeで世界に流した」というような話がある。
仮に2人が対戦したら間違いなく棚橋選手が勝つんだけど、人間的にどっちが面白いかといったら僕個人としては確実に大家健だし、こんなとこを読んでるような皆さんがどっちを面白がれるかっていうのも確実に大家健ではないかと思われる。簡単に言えば大家健の面白がり方を分かりやすく伝え、大家健をある意味スーパースターにするプロレスが「エンターテイメントプロレス」であり「文化系プロレス」ではないだろうか。言い過ぎか。

今までプロレスに興味のなかった人、中でもネットにハマってるようなタチの悪い人種が見ても面白いプロレス、ということにかけてはDDTは相当なもんだと思うので、皆様DDT及び高木三四郎をよろしくお願いします。