さよならテリー・ザ・キッド

おとなをからかっちゃいけないよ

「表現できない」という表現

虎眼先生のラストの描き方で「もはや虎でも魔神でもない何か」に化したと表現されていて、この「何か」という表現が、並のマンガ家の「何か」とはその伝わり方と重みが段違いに違う。 その理由は『あの狂気異常倒錯の表現者であるシグルイの作者ですら!!あらゆる表現で僕らを熱狂させている山口貴由先生ですら!!!!表現できていない』というところが読者にも鋭利に伝わっている点が並のマンガで登場する「何か」とはわけが違う。

これは要するに、漫画とかのレビューを書く場合でも、ふだん説得力あること書いてる人なら「とにかく買え!」ってひとことだけで終わらせても許されるけど、並の人が「とにかく買え!」ではただの手抜きにしか見えないですよね、ていうことですよ。
つまり「表現する言葉が見つからない」というのは表現力がある人が使うからこそ意味がある、と。

なのに、ネット上で漫画とかの感想を巡ってると「とにかく読め」系が多すぎる。『シグルイ』みたいな突出したやつは特に。ふだん読んでる人のとこならともかく、知らない人のを読んだらそんなのだった時は表現の放棄に見えてもしょうがないと思う。特にはてな内ではISBNを辿って初めての人が来ることも多いだろうから、それを想定して感想なりレビューを書きましょうよ…と思ってしまうのは贅沢なのかしら?


余談。あれ、この話って前にも書いたことあるな…と思ったら、奇しくも「シグルイ体験版」の時でやんの。
http://d.hatena.ne.jp/hurricanemixer/20031223