さよならテリー・ザ・キッド

おとなをからかっちゃいけないよ

狼からの伝言!アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ&エメリヤーエンコ・ヒョードル&ヴォルク・ハンの巻

さていよいよ本日8月15日、PRIDE GP決勝であります。小川直也エメリヤーエンコ・ヒョードルアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラセルゲイ・ハリトーノフ。この「60億分の4」から「60億分の1」が決まる、決まってしまう!
プロレスファンとしては小川直也を応援したいし、会場はおろかPPVですら見れない僕個人とすれば「リザーブマッチから勝ちあがったロン・ウォーターマンが優勝」という事態になってさいたま全体がズッコけてしまえ!という思いもあるにはあるのだけれど、まあ現実的に見ればノゲイラヒョードルが優勝というのが妥当でしょう。
そのノゲイラヒョードルが決勝で当たる場合、2003年3月16日、PRIDEヘビー級王座を賭けた試合の再戦となるわけだけど、この2人の戦いの裏に「狼からの伝言」という逸話があるのを皆様はご存知だろうか?僕はめちゃめちゃ好きな話なのだけど、実は最近、決勝の会場に行きやがる知人連中、何人かにその話をしたら揃って知らないという。そのおかげでこの壮大な大河ドラマを何回もゼロからレクチャーする羽目になってしまった(雑誌・ネットからの受け売りですが)。だけど僕は苦労してでも他人に欲しい話であるし、教えた人全員が感動してくれて、そしてノゲ・ヒョー戦が数倍楽しめるようになったはず、と僕は勝手に思っているし、まだ広め足りないのでここにも記しておくことにした。
この話をするには、まずはリングスという団体とヴォルク・ハンという格闘家について語らねばならない。

ファイティングネットワーク・リングスとは何か?

リングス―――日本に総合格闘技というものを根付かせた、“格闘王”前田日明がロシア・オランダ・ブラジル等、世界中から未知の格闘家を集め旗揚げした格闘技団体である。2001年2月に活動を休止するも、当時は全くの無名だったノゲイラヒョードルを発掘しただけでなく、他にリングス経験者でPRIDEのリングにも上がった選手を挙げると、ダン・ヘンダーソンヒカルド・アローナヘンゾ・グレイシーヴァレンタイン・オーフレイムアンドレイ・コピィロフギルバート・アイブル田村潔司金原弘光山本宜久山本喧一、横井宏孝など、PRIDEに及ぼした影響は絶大といえる。実際、ノゲイラVSヒョードルのPRIDEヘビー級タイトルマッチを見て「世界最強の男はリングスが決める」というリングスのキャッチフレーズに偽りはなかった!と思ったファンは多いはず。

キング・オブ・キングスとは何か?

さてこのリングスであるが、前田引退後に行われた99年の「KING OF KINGS(以下、KOK)トーナメント」が行われる以前はいわゆる「プロレス」であったと言われている。現在ほどプロレス界のカミングアウトが進んでいない時代であったが故、「これからはガチンコでいきまーす」とは公言することこそなかったが、KOK以後、明らかにリング上の風景は一変した。あと1回のダウンで負けという所から大逆転・・・というような試合は消えたわけである。バーリ・トゥード全盛時代の波に押されたとはいえ、突然の「全試合真剣勝負」への方向転換はどう考えても無茶だが見てるほうにとっては刺激的きわまりない。そしてトーナメントの出場枠をオープンにし、前田総帥の「お金が欲しい人は来てください。欲しくない人は来なくていいです」の言葉通り、賞金総額50万ドル(参加者には3000ドルのみ、しかし勝ちあがったらどんどんギャラがアップして優勝者にはトータル22万ドル)という実に分かりやすいエサで世界中から強豪を集めた。PRIDEが現在ほど力もなかったおかげで、世界中から無名の強豪を集めることが出来たのもタイミングが良かった。総合では無名なものの、ブラジリアン柔術世界王者、サンボ世界王者、UFCヘビー級王者、アブダビコンバット無差別級王者、ルタリーブリ王者、アブソリュート大会王者、ロシア白兵戦王者…世界中の強豪同士が真剣勝負で他流試合のトーナメントを行って世界一を決める。シンプルかつ豪華な夢の祭典、リアル天下一武道会、それがKOKトーナメントである。ま、それでも格闘技メディアは「どうせプロレスだろ」と疑いの目を持っていたのか、決勝ぐらいまでは扱いが悪かったりしたわけだが…。

KOKルールとは何か?

ちなみにガチンコになっただけではなくルールも大幅に改変。KOKルールの最も大きな特徴は「グラウンドで膠着するとすぐにブレイクがかかる(=ガードポジションから相手をミスしたところを極めるスタイルだと相手がミスを犯す前にスタンドに戻される)」「グラウンドでの打撃が禁止(=マウントをとっても極めのバリエーションが少ないと意味がない)」の2点。マウントパンチがないので、バーリ・トゥード特有の残酷さはなく「スポーツ」に近いが、自然と常に動かないといけないのでやる側としてはポテンシャルを要求される過酷なルールといえよう。だが、見てる側はスピーディで退屈しない。なお、現在このKOKルールはZSTという団体に受け継がれている。

KOKとアントニオ・ロドリゴノゲイラ

前置きがクソ長くなってしまったが、ノゲイラヒョードル物語に徐々に話を戻そう。
99年のトーナメントでは、旧リングス時代から居た連中は、KOK以後参加して来た「外敵」に面白いように敗れていってしまう。田村潔司ヘンゾ・グレイシーに、アンドレイ・コピィロフがカステロ・ブランコ(柔術世界王者)に勝利して多少はプロレスファンの溜飲を下げたものの、やはりプロレスラーは格闘家より弱いのか…と感じたファンは多い。中でも、やはり当時は無名であったアントニオ・ロドリゴ(当時の表記)・ノゲイラが、1・2回戦の試合でWOWOWの解説をしていた田村潔司に「こいつが優勝ですよ…」とボヤかせるほどの圧倒的な強さを見せつける。しかしノゲイラは準決勝でダン・ヘンダーソンと対戦、柔術的なポジション取りでは圧倒したものの、ポジショニングはあまり反映されないルールと、体重判定のせいで判定負け。その後決勝でレナート・ババルを破ったヘンダーソンが優勝。
余談だが、ランディ・クートゥアー(当時UFCヘビー級王者)が翌2000年のKOKトーナメントに出場を決意したのは、それまで公共料金を滞納していた無名のアマレスラーであるヘンダーソンが20万ドルを勝ち取ったジャパニーズ・ドリームを目にしたからだそうだ。良い話である。

ヴォルク・ハンとは何者か?

そしてそのKOK、2000年のトーナメントには、ついに“リングス最後の幻想”とうたわれる“あの男”の出場が決定する。外敵に敗れ続けるロシアを、サンボを、そしてリングスを守るために―――。
その男の名はヴォルク・ハン。リングスが生んだ最高傑作とまでいわれる格闘芸術家である。20歳でソ連軍に入隊し、コマンドサンボを習得。91年のリングス旗揚げの年に初登場、その複雑怪奇な関節技でセンセーションを巻き起こし、地味な格闘家が多かった当時のリングスの中で、出場すれば必ず観客を満足させた救世主となった“1000の関節技を持つ男”。リングス最強を決めるメガバトル・トーナメントで2度(94年・96年なので旧ルールではあるが)優勝。
ハンはコマンドサンボの盟友であるコピィロフが昨年のトーナメントでノゲイラに敗れた時、前田に出場を打診されてチャレンジを決めたという。しかし1961年生まれのハンは当時39歳である。新しいルール、それも過酷なKOKに挑戦するには酷なはず。しかしルールについて雑誌のインタビューで訪ねられたハンはこう答える。
私はマエダの兵隊なんだよ。将軍が決めたことに従うのが兵隊だ」
〜〜〜〜ッッッ!!!さすが前田日明に人生を変えられた男である。前田がリングスにサンビストを呼ぶべく視察に行った際、ハンは
当時の私は喧嘩が好き!お金が欲しい!違ったルールで戦ってみたい!そして外国に行ったことがなかったので行ってみたかった。そういう私の願望がリングスに出ることで全て叶えられたんだ
ということで、なにがなんでも日本に呼ばれようとして「なるべく派手な技を使って自分をアピールした」そうである。当時はまだソ連時代、共産圏で「プロ」という概念すらなかったころの話であるから恐ろしい。
その後、プロとして歓声を浴びることに快感を覚えたハンは、試合をする土地や対戦相手によってスタイルやコスチュームを変えるまでにプロとして成長する。旧リングスルールから、技を見せづらいKOKルールに移行したことについても「仕方が無い」「ルールが変わることでファンが少なくなったと思う」と嘆いていた。この男、どこまでプロなんだ?
また、同じインタビューで99年のトーナメントにケガを理由に出場しなかったことについて「KOKルールを恐れて出てこないんじゃないかという声があったんですが」と聞かれたときにはこうだ。
「私はソ連軍でもっとも厳しいパラシュート部隊にいた男だよ。国家警察軍としてコマンドサンボを使わざるを得ないような危険な目にも何度もあっているし、最近だってチェチェン紛争のとき、私の故郷にも武力介入が及んでいたので、マシンガンを持って村を守ったぐらいだ。そんな私がリングを恐れることはないよ(笑)」
プロ根性と軍人のハートを併せ持つ格闘家…いや、プロレスラーなんて他にいないだろう。ハン、恐るべし!
KOKに出場を決めたハンは、「リングスで2回チャンピオンになっている私が無名のアマチュアみたいな選手に負けるわけにはいかない!」と、自らを鼓舞。そして戦闘集団「ヴォルク・ハン格闘術」を結成、故郷・トゥーラに道場を構える。そこではロシア中から才能ある若者を集め、「このルールで勝つにはレスリングと打撃が必要」と総合格闘技用の練習をすることになる。
この時、ハンに打撃を教えたコーチ、名をニコライ・ペトコフ。ハンがペトコフに「若くて才能のある格闘家を知らないか?」と持ちかけたところ、彼の頭に浮かんだ物静かな柔道家。それが後の氷のPRIDE王者、エメリヤーエンコ・ヒョードルであった。

エメリヤーエンコ・ヒョードル、ハンとの歴史的邂逅と衝撃のデビュー戦

エメリヤーエンコ・ヒョードル。幼少時代からサンボ、柔道を始め、96年柔道ロシア選手権優勝、97年サンボロシア選手権優勝、97年サンボヨーロッパ選手権優勝の実績を残す。1976年生まれ、当時24歳。
いつまでもアマチュアでやっていくわけにいかない…そんなタイミングでペトコフから「トゥーラにハンという面白い男が道場をやっているから会ってみないか?」と声をかけられたのだ。
ヒョードルはリングスという名前をかろうじて知っていた程度で、ハンという男のことも知らず、見学のつもりでトゥーラの道場に行くと、いきなりそこでハンの弟子とスパーリングをさせられた。
「非常に強いじゃないか。日本でプロ格闘家になれるように君を育てるから、すぐにトゥーラに引っ越してきなさい」。その後、さらに熱心にスカウトするハンがリングス・ロシアの大会をヒョードルに見せたところ、「これは私の世界だ」と入門を決意したという。
ヒョードルヴォルク・ハン格闘術入門から半年で初来日、日本デビュー戦はなんと12秒のKO勝利!現在ではパンチのイメージの強いヒョードルだが、バックボーンは柔道であり、この時点では打撃を習い始めて2ヶ月だったそうである。

KOK2000、ヒョードル・ハン・ノゲイラそれぞれの1・2回戦

その3ヶ月後、2000年12月。第2回目のKOKトーナメント。
大抜擢で出場となったヒョードルは、「優勝候補の筆頭」「KOKルールでの試合ならば最も強い」と言われていたヒカルド・アローナを相手に、弾丸タックルを受け止め、終盤はスタミナの切れたアローナを打撃で圧倒、判定ながら下馬評を覆した勝利!
その恐るべき潜在能力を見せ付けるも、2回戦で“世界のTK高阪剛にわずか17秒、高阪のパンチで目尻をカット、流血によるドクターストップで高阪がTKO負けを喫してしまう。無念!ちなみに今日の時点でこのTKOのみが、ヒョードル唯一の敗戦である。
後にインタビューでアローナ戦のことを振り返ったヒョードルは、アブダビコンバット98キロ以下級・無差別級王者、後にPRIDEでは昨年のKOK王者・ヘンダーソンにも勝利したアローナのことを「普段スパーリングを行っている兄弟子のイリューヒン・ミーシャと比べると一枚落ちる」「休み休み80%の力で勝てた」と発言、ロシア幻想・サンボ幻想をさらに高めることになる。

そして同日。ついにヴォルク・ハンがKOKトーナメントに出陣した。旧リングス勢がKOKやヴァーリ・トゥードで敗れつづける中、軍隊で人を殺す技術を学び、リングスでは並外れたプロ根性を見せ続けてきた男が、39歳ながらついにガチンコの舞台に立ったわけである。…といってもこれがKOKデビューではなく、半年前にトーナメント外でKOKルールで勝ってるんだが、今回は強豪ひしめくトーナメント。そして何より、勝ち進めばコマンドサンボ勢に連勝中のノゲイラと当たるのである。
1回戦、ハンの相手はK-1出場経験も持つイギリスのリー・ハスデル。昨年のKOKではハンの愛弟子ラバザノフ・アフメッドにも勝利しており、楽な相手ではないと思われたが…ハンはなんと打撃で勝負を挑み、2R8秒・元キックボクサー相手にKO勝利!お見事!
続く同日の2回戦もKOKで5連続KO勝利中のボビー・ホフマン相手に打撃で挑み、判定ながら勝利。ハンは「戦場の殺人術・コマンドサンボの達人」という幻想を幻想のままに終わらせなかったのだ。
またこの日、ノゲイラは1回戦で前述のハンの弟子・ラバザノフに、2回戦で「孤高の天才」「リングスのエース」田村潔司にそれぞれ勝利。昨年のダン・ヘンダーソン戦で疑惑の判定負けを喫したノゲイラは「KOKでは1本勝ちしかない」との意識が芽生え、師範代を勤めていたマルコ・ファス道場を離脱、ブラジリアン・トップチームに移籍。そこでいまや世界一とまで言われる極めの技術を身につけていたのだ。
そして1・2回戦を勝ちぬいたハンとノゲイラの対戦が決定する。

KOK2000 グランドファイナル・準々決勝 ハンVSノゲイラ

2001年2月24日、両国国技館。ついにこの日がやってきた。
プロレスラーと格闘家。
1度は引退を決意した老兵と、無名からのし上がって来た新しい力。
コマンド・サンボとブラジリアン柔術
千の関節技を持つ男と柔術マジシャンのサブミッション世界一決定戦。
そう書けばロマンがあるが、ノゲイラはぶっちぎりで優勝候補であり、対するハンはといえば「爆発力の要求されるこのルールでここまで来られたのはすごいよね」あたりがリアルな下馬評であろう。それでもハンなら…と思わせるのがハンの凄い所なのだが・・・。
そして結果から言えば、やはりというか、ノゲイラの勝利であった。しかし判定での勝利である。ノゲイラがKOKの中で唯一、タップを奪えなかったのが39歳というのは快挙といって良いのではなかろうか?確かに攻められっぱなしではあったが、一度もタックルを決められず、サンビストのお株を奪う(柔術家は本来、足関節は得意ではない)ヒザ十字を極められかけても試合後に「ちっとも極まってなかった」と強がるハン、試合終盤ではスタンドからのアームロックを狙って「ガチンコなのに立ち関節!?」と夢を見させてくれたハン、判定負けが決まってガックリと肩を落とすハン…どれを取っても最高の39歳(当時)である。
ハンを破ったノゲイラはその後、準決勝で無冠の実力者・金原弘光から、決勝ではUFC王者クートゥアーを破って波に乗るヴァレンタイン・オーフレイムからそれぞれ一本勝ち。見事「世界最強の男」の座を手中に収める。そして…。

その後のノゲイラヒョードル

ノゲイラは2001年にはPRIDEにその戦いの舞台を移し、初登場で「PRIDEの番人」ゲーリー・グッドリッジを撃破、そして次はいきなり「PRIDE GP 2000」で優勝したマーク・コールマンにも勝利。PRIDEとKOKのトーナメント優勝者同士の一戦ゆえ、ファンに「PRIDE < KOK」を印象付ける。
さらにヒース・ヒーリングとの王座決定戦に勝利してPRIDEヘビー級王を獲得後、ダン・ヘンダーソン戦からはきっちり1本とってKOKのリベンジを果たし、「コロシアム2000」では「寝技世界一」菊田早苗にKO勝利、「Dynamite!」では(最も勢いのあった頃の)ボブ・サップに逆転勝利。内容的にも名勝負を連発し、初来日時の朴訥さが信じられないほどの王者らしさに磨きをかける。
一方のヒョードルはと言えば、リングスに残り(当時の実績ではまだ引き抜かれなかった、が正解か?)、ヘビー級王座決定トーナメントに出場。準決勝でレナート・ババル(KOK99・準優勝)を終始圧倒し、実力が認知されてくる。決勝では相手のボビー・ホフマンが棄権。表向きは肩の不調を訴えた為だというが、一説によるとババル戦を見たホフマンが「無名のロシア人に負けたくない」とゴネたという話もあり、ヘビー級王者ついでにそんな伝説まで獲得。
続けて無差別級トーナメントにも出場、ここでも圧倒的強さを見せつけ優勝、無差別級王座についたはいいものの、決勝が行われた興行がリングスの最終興行となってしまう。そしてPRIDEに移籍、初戦でセーム・シュルトとのリングス・パンクラス現役王者対決を、30センチ以上の身長差をものともせずに制す。
続く第2戦目では、いきなりノゲイラの持つ王座への挑戦者決定戦に。相手はこの前年にノゲイラと王座決定戦を行ったヒーリングだが、わずか1ラウンドで一方的にKO!この頃から、無表情でパウンドをブチ込む姿は「氷の拳」と呼ばれるようになる。
こうしてノゲイラVSヒョードル、リングス出身同士のリアル世界一決定戦が決定したのであった。

狼からの伝言

ここで話は2年ほど遡る。2001年2月24日。そう、ノゲイラが見事KOKを制したあの日だ。
試合後の打ち上げパーティーでの話。ノゲイラはハンに挨拶に行き、なんと色紙にサインまで貰ったという。
「やっぱりハンはカリスマ性のある偉大な選手だし、私自身、彼のファンであり、尊敬しているから」
とのこと。
しかも、サイン色紙に書いたハンの言葉が実にしびれる文章なのである。

狼からミノタウロへ
 優勝おめでとう。今日は君が最強の男だと認めよう。私は歳を取りすぎてしまったので、もう君と遭うことはないかもしれない。しかし私の魂を受け継いだ弟子たちが近い将来君を困らせるだろうから、その時はよろしく頼む 
 ---ロシアの狼 ヴォルク・ハン

これが冒頭に書いた「狼からの伝言」。ヴォルク(volk)とはロシア語で“狼”の意である。
これが後に大きな意味を持ってくるとは…この時、誰が思っただろうか?

ヒョードル、劇勝

そして2003年3月24日。ノゲイラVSヒョードル。プライド王者VSリングス王者。リングスファンからしてみればこれほど「満を持して」との言葉が似合う一戦が他にあっただろうか。ノゲイラがリングスに残っていれば…そう夢見たファンも少なくない。しかしノゲイラはこの時点でリングスに比べて“表舞台”とも言うべきPRIDEで6戦全勝であり、これほど勝てば美味しい相手も無い。そして何より、「狼からの伝言」が実現する日が来たのだ。
試合は一方的な内容となった。ひたすらグラウンドで殴るヒョードルとそれをなんとか凌ぐノゲイラ。並のファイターのパウンドなら魔術師ノゲイラに捕まるのだろうが、ヒョードルはものともせずに殴る殴る。面白いようにヒット。ノゲイラもなんとか切り返しを狙うも、ダメージのせいか凌ぐだけで精一杯。結果、ヒョードルの判定3-0勝利。「20分凌いだだけでも大した物」という評価をされるような、圧倒的な試合だった。
こうして「狼からの伝言」が実現する日が来たのだ。ハンが育てた格闘マシーンの氷の拳がブラジルの太陽を打ち砕いたのだ。
ハラショー、サンボ!
ハラショー、ロシア!
ハラショー、ハン!
ハラショー、ヒョードル

 
 
どうですか、これだけで一本映画が撮れる、このドラマ!で、これだけ見ると主役はハン&ヒョードルなんだが、ヒョードルの無表情さ・鉄仮面ぶり、一方的に相手を撲殺する試合スタイルはどう考えてもエースの器じゃないわけです。どちらかというとライバル・悪役なわけで。そう、主人公にふさわしいのは相手を光らせる陽気なブラジル人、リアル・アントニオことノゲイラなわけですよ!つまりまだこの物語は終わっていない。ヒョードル戦の敗戦はターニング・ポントでしかないわけで、これを巻き返してこそのエースでしょう。主人公が同じ敵に2度負けるわけがない!という理由で、ずばり今回の優勝はノゲイラです!!!!こんだけ長く書いたのに負けたら承知しないぞ!というか決勝がこのカードにすらならない可能性も十分あるんだけど、だがそれもまた良し!