さよならテリー・ザ・キッド

おとなをからかっちゃいけないよ

“地上最強の内助の功”、逝く

なんてこった------。

訃報 国際空手道連盟 極真会館 創始者 故・大山倍達夫人、大山 智弥子(79歳) は、かねてから病気治療中のところ、6月6日午前4時に逝去いたしました。 ここに謹んでご報告いたします。

大山倍達については説明しませんが、智弥子さんといえば、男の世界が大好きなボンクラ達の憧れの的である。梶原一騎婦人・篤子さんと並んで、偉大な男を支えた女性のアイコンと言っていい。

ちなみに前に吉田豪さんが書いてた篤子さんのエピソードをちょっと紹介すると、梶原一騎は漫画でのSM描写を見ると分かるように銀座でホステスを逆さづりにしたりする人なんだけど、篤子さんは梶原先生が水商売のお姉ちゃんを連れ帰ってきて、そのあとベッドが血まみれになってたりしても「梶原がお世話になってます」とお姉ちゃんに挨拶したそうだし、離婚した後にも「私が梶原の性癖を受け止め切れなかったのが悪い。私にもっとMっ気があればよかった」とか言ったり、梶原先生が亡くなったあとにも「夫の偉大さを伝えるために」13回忌のパーティをものすごい盛大にやったときも、パーティーの資金がなくてそのために家を売ったりとか。「主人の功績を知らしめる(ためにパーティする)のと家とどっちが大事なんですか!主人のほうでしょ!」つって。家を売る前にも、保険金で払おうとして一度は死のうとしたこともあるっていう。今は梶原漫画の復刻版が売れたりして、億あった借金も返せたらしいですけどね。


まあ今日は智弥子さんの話だ。
彼女のことは、大山夫妻の52年に渡る愛の物語を智弥子さんへのインタビュー形式で綴った『わが夫、大山倍達』に詳しい。

わが夫、大山倍達 (角川文庫)

わが夫、大山倍達 (角川文庫)



智弥子さんは実家が「100軒ぐらいの貸し家を持ってて町が1つの持ち家みたいな感じ」とか「門から母屋まで歩いて5分」とかそういうレベルの金持ちで、しかもミス東京に選ばれるほどの美人。当然のように彼女を狙う人も多かったらしい。そんな漫画の設定みたいに華やかな智弥子さんに比べ、大山総裁は、後に日本空手界の礎を作り、空手を世界に広めた人ではあるけど、当時は空手家なんてただの荒くれものみたいなもんですよ。

そこでライバルを出し抜くために大山倍達がとった手段は、「拉致」。もう一回言いましょうか、「拉致」です。智弥子さんを知り合いの政治家の家に預けて、強制的に花嫁修業をさせたんですって。
戦後すぐっていう時代を考えても、どう見ても犯罪行為をしてしまった大山総裁も総裁だけど、さらに凄まじいのが
「私はご飯も炊けなかったし、まだ二十歳だったからお嫁にいくなんて考えたこともなかったし、だから花嫁修業をやるのも悪くないと思ったの」
と受け入れてしまう智弥子さん。そういうのはポジティブとは言わない。

その後、総裁に
「僕たちはどんなに話をしても全然たりないね。そうだ、面倒だからずっと一緒にいようか」
とシビれるセリフでプロポーズされた時の答えが
「わかんない」
だ。総裁的には「決まったー!俺、かっこいいこと言ったー!」て感じだったんだと思うけど、その返しはひどい。でもまあ色々あって流されるように結婚するんですけども。
その後は家の電気を止められたり雨漏りするほどの極貧生活になっても、総裁が読書をする傍らで傘と明かりを持って立ってただとか、総裁が逃亡山篭り生活に入った時も家で子供と2人ひたすら待ち続けただとか、実は智弥子さんは照子っていう名前だったのに総裁がある日いきなり
「今まで照子と言う名前はいろんな男が呼んでいるからイヤだ!あなたはこれから私だけの置八子さんです」
ととんでもないわがままを言い出したのに
「いい名前だと思ったし、せっかく私のために付けてくれたんですから」
と受け入れたり(その後、占い師に言われて置八子から智弥子に改名)だとか、いいエピソード満載。何があっても尽くす!許す!受け入れる!という姿勢は天然ボケの一言ではすまされない強さがあると思う。故人に失礼を承知で言わせてもらうと、智弥子さんは稀代の萌えキャラだ。


僕は『嫌われ松子の一生』の『神の愛とは、許しです』のシーンでも智弥子さんを思い出してたので、この訃報にはただただ悲しい。ご冥福をお祈りいたします。